1976年、ごく一般的な会社員の家庭の第一子長女として生まれました。
2年後に弟が生まれ、2人姉弟です。
小学校から高校まで公立へ、
大学は4年制の地元の私立へ実家から通いました。
小学生までは何事もやる気に満ち溢れ、やりたいことに対する情熱と行動力が人一倍大きかった子供だったと思います。
一転中学に入り、思春期に入ったのだと思いますが、それからは興味があっても熱量は少なく、やることなすことその意味その価値を一人でうだうだと考えるようになりました。
友達と過ごす時間は楽しかったのですが、
勉強と学校に意味を見いだせない毎日は朝の身支度から寝る前の歯磨きまですべてがしんどかったです。
それでも大学生となりアルバイトや運転、旅行など自由にできることが増えたおかげで、あいかわらず夢が見つけられず悩みも多かったですが、楽しく貴重な時間を過ごすことができました。
大学時代、海外留学などひたすらその時々でやりたいことを心の赴くままにやってみましたが、結局なりたいものが見つけられないまま手当り次第に就職活動をし、
唯一採用された中規模の消費者金融会社へ就職しました。
上司先輩同僚など人には恵まれましたが、一般事務の募集で採用されたにもかかわらず窓口担当でノルマがきつく、人生で一番がんばったと言っても過言ではないくらい仕事や組織に打ち込みましたが、社全体の売り上げは悪くなかったのに初めてのボーナスは謎にカット、しかも前日の仕事終わりに発表からの上司から叱咤激励ということに疑問と心が折れてしまい半年で退社しました。
今思えばよくあるブラック企業でしょうが、その後その会社は外資系に吸収合併されたあげく、数年後には倒産となり上の方は知りませんが、同僚や先輩方は解雇となったようです。
思い返せば濃い半年で今ではよい思い出です。
今度こそ正真正銘の一般事務に転職したく、職業訓練校で事務職を半年一から学び、
正社員と組織のトラウマから抜け出せなかったというのと色々な会社を見てみたいという思いで
結局結婚するまで派遣社員として4つの会社で就業しました。
私にとって派遣社員という働き方はメリットの方が大きく、
事務職は天職かもと思えるほどつらいと思うことがなかったのですが、
やはり正社員として働きたいというほどの思い入れは持てず、
夢やなりたいものを探し続ける日々は続き、
契約の更新のタイミングで短期留学をしてみたり長期で旅行にでてみたりしました。
30代を数年過ぎた頃ふっと心の底から結婚をあきらめた時期がありました。
私にはたまにあるのですが、なんの前触れもなく、突然心から気持ちが切り替わる瞬間があります。
それまで何年も何万回もグルグルグルグルどんなに考えてみても、あきらめきれなかったり
答えがでないことが一瞬で終わってしまう瞬間です。
結婚に対する思いが占める割合が0になると、興味のある仕事に対する条件はなくなるんですね。
お休みもなくてもいいとさえ思え、とにかく気になった仕事をしてみたいと思いました。
旅行が好きなので就活がめんどくさくすぐに就職できる登録制の添乗員の派遣会社へ登録しました。
拘束時間も長いうえに経験のない分野で一から学ぶため勉強や準備も多くの時間が必要で、それこそお休みがない状態でした。
才能もなかったし結局結婚により極めることができませんでしたが、
このお仕事では“やりがい”ということを学びました。
でもそういう時こそ出会うと先輩や友達、テレビなどで見聞きしたとおり、
縁があり、1年ほどお付き合いをしたあと、
36歳の時に結婚しました。
翌年には長男、その後一度流産、不妊治療を経て、40歳のときに次男を出産。
現在、専業主婦として10年目となりました。
簡単ではありますが、自己紹介をさせていただきました。
忘れていることも多く笑
追って思い出すたびに加筆修正など更新させていただきます。
これからどうぞよろしくお願いいたします。